鬼死骸村について
ネットか何かで見てから一度は行ってみたいと思っていた鬼死骸村(今の岩手県一関市の一部)。
ツーリング途中で寄る機会があったので今回はその話。
一関市博物館のサイトで鬼死骸村絵図が紹介されていて、
現在の一関市と南町・千代田町・台町と真柴の一部にあたる、旧一関藩領鬼死骸村の絵図です。
と、紹介されている通りの場所にあった村で、現在残っているのは神社・バス停・電柱の表示に「鬼死骸」の表記があるということはネットで見つけた(バス停は既に廃止されたらしい)。
まずは鬼死骸八幡神社へ行ってみる(ページ上部の写真は神社付近の風景。田んぼに囲まれのどかな雰囲気)。
神社を正面から見ると… 鳥居の基礎石はあるけど鳥居はなく、参道の木に竹としめ縄が取り付けられている。現地で「しめ縄、やべぇ!」とか思っていたけど、ひょっとするとこれが鳥居のかわりなのかもしれないね。
ブルって境内まで行かなかったので、ズームでお社を撮影。古いが手入れがされているという雰囲気。次に行くときはちゃんと色々調べてからだね。
鬼死骸八幡神社から南西に2kmくらいにある鬼死骸バス停(跡地)。
今はバス停の待合室が残るのみ。
付近をウロウロして見つけましたよ、NTT柱に残る「鬼死骸」の表示。
色が抜けて見づらいけどこれも鬼死骸(かつ、電電公社マーク)。
古い地名は踏切なんかにも残ってるんだよね~ と東北本線の踏切を見に行くと「要害踏切」と書かれていた。この辺の地名は上要害というらしい。
ここから雑多な話
- 明治8年(1875年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、鬼死骸村と牧沢村が合併して真柴村となり、一関村・二関村・三関村が合併して一関村となる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、真柴村・滝沢村・狐禅寺村および一関村のうち旧三関村域が合併して真滝村が発足。
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 一関町・山目町・中里村と合併して一関市となる。
須川土地改良区 眞瀧村誌(大正5年編纂) より
第三節 村名起源
鬼死骸
往古、吾勝郷桜野荘ト云ヒ、延暦二十年、坂上田村麻呂、大武丸ノ賊徒ヲ退治シ、其死骸ヲ埋メ置キタル。ヨク鬼死骸トイフ。
坂上田村麻呂が大武丸を退治して、その死骸を埋めたから鬼死骸となる。
大武丸(おおたけまる)は、陸奥国の岩手山(岩鷲山、霧山)に住んでいたと伝わる蝦夷の首長、もしくは鬼。
蝦夷の首長、ってあたりで阿弖流為じゃないの? って話しが出てくるのかな。
東北地方に多い各地の館は,おおむね,こうしたところにあった。つぎに要害も同じような意味をもち,岩手県では,地頭屋敷を館または要害と言った。
要害と言う地名はその地方有力者屋敷があった地名。討伐された蝦夷の屋敷があったのか、あるいはその後に入った地頭職の屋敷があったのか。
色々想像は尽きないね。